日付が変わってしまいましたが、
1月17日で阪神大震災の発生から14年が過ぎました。
14年かぁ。早いなぁ。
阪神大震災の被災者として、
この日だけはやっぱり震災の話をしておきたいと思います。
私は神戸でも特に被害の激しかった地域の少し北に住んでいます。
家も家族も無事でしたが、暮らしが元に戻るまでは相当時間がかかりました。
電気⇒その日中に復旧。
しかしその後も何度か停電があったので、懐中電灯とろうそくは必需品。
ガス⇒3月に入ってから復旧。
うちはガス釜でお米を炊いていたので、電気ジャーを買いに行きました。
ホットプレートも大活躍!
電気があったら無くてもなんとかなるもんなんだなぁと思いました。
そう言いつつガスコンロ派ですけど。
水⇒3月に入ってから復旧。
水が無いのが一番困った!ホント水重要!
家の裏に川が流れているので、トイレ用の水は川から汲んできて使用。
飲み水は給水車&遠方へ買出し。
もちろんお風呂とか入れる状態じゃないので、
週に1・2回他の区へお風呂に入りにいってました。
これは冬場で良かったと思います。夏場だったら耐えられない。
道路⇒我が家の南側が壊滅状態だったのですが、復旧は南側から順番にしていくので
なかなか進まない。
バスに乗らなきゃどこにも行けないような立地ながら、バスの時刻が無茶苦茶になってました。
電話⇒確かに公衆電話の方が通じてました。
長蛇の列が出来てましたが、みんな緊急性の高い内容だったので
ひたすら我慢して待つ。中には”遅い!”と怒り出す人もいましたが。
お店⇒震災翌日に行ったスーパーは本当にほとんどの食料が売り切れていて
焦りました。子供心に”ホンマにヤバイ!”と思い、食欲をセーブ。
…してたハズなのに、いつの間に元に戻っちゃったんだろう?
うちの地区は多くのお店が倒壊しました。その後普通に再建した店もありますが、
未だにプレハブで営業を続けていたり、廃業してしまった店も多数。
多くの住人が転居したので、お客がいなくなったから…というのも大きな要因のようです。
学校⇒うちよりも南側の学校では避難所となったところが多かったです。
私が通っていた学校は救援活動をするために来られた自衛隊の
基地となりました。
自衛隊の活動が終わってから学校を再開したので、
自衛隊がおられた間は見てないのですが…。
結局あの3学期は数えるほどしか学校行ってないなぁ。
たぶん私が以外の被災者も同じだと思いますが、
地震の起こったその瞬間よりも、その後の暮らしの大変さの方が
よく覚えています。
もちろん地震も相当なインパクトがありましたが。
(未だに地震がくるとなみだ目になる)
日本国内ならどこでも地震が起こる可能性があるからこそ、
阪神大震災の経験は語り続ける必要があるなと思っています。
パニックにならず冷静に判断して動くためには、
日頃の備えが重要だと思います。
文明の利器に頼っている暮らしだからこそ、
いざという時のための備えをしっかりした方がいいですよ!
懐中電灯あったけど、電池切れてる~!!
とかならないように!(ウチの場合)
ちょっとマジメに語ってみました。
1月17日で阪神大震災の発生から14年が過ぎました。
14年かぁ。早いなぁ。
阪神大震災の被災者として、
この日だけはやっぱり震災の話をしておきたいと思います。
私は神戸でも特に被害の激しかった地域の少し北に住んでいます。
家も家族も無事でしたが、暮らしが元に戻るまでは相当時間がかかりました。
電気⇒その日中に復旧。
しかしその後も何度か停電があったので、懐中電灯とろうそくは必需品。
ガス⇒3月に入ってから復旧。
うちはガス釜でお米を炊いていたので、電気ジャーを買いに行きました。
ホットプレートも大活躍!
電気があったら無くてもなんとかなるもんなんだなぁと思いました。
そう言いつつガスコンロ派ですけど。
水⇒3月に入ってから復旧。
水が無いのが一番困った!ホント水重要!
家の裏に川が流れているので、トイレ用の水は川から汲んできて使用。
飲み水は給水車&遠方へ買出し。
もちろんお風呂とか入れる状態じゃないので、
週に1・2回他の区へお風呂に入りにいってました。
これは冬場で良かったと思います。夏場だったら耐えられない。
道路⇒我が家の南側が壊滅状態だったのですが、復旧は南側から順番にしていくので
なかなか進まない。
バスに乗らなきゃどこにも行けないような立地ながら、バスの時刻が無茶苦茶になってました。
電話⇒確かに公衆電話の方が通じてました。
長蛇の列が出来てましたが、みんな緊急性の高い内容だったので
ひたすら我慢して待つ。中には”遅い!”と怒り出す人もいましたが。
お店⇒震災翌日に行ったスーパーは本当にほとんどの食料が売り切れていて
焦りました。子供心に”ホンマにヤバイ!”と思い、食欲をセーブ。
…してたハズなのに、いつの間に元に戻っちゃったんだろう?
うちの地区は多くのお店が倒壊しました。その後普通に再建した店もありますが、
未だにプレハブで営業を続けていたり、廃業してしまった店も多数。
多くの住人が転居したので、お客がいなくなったから…というのも大きな要因のようです。
学校⇒うちよりも南側の学校では避難所となったところが多かったです。
私が通っていた学校は救援活動をするために来られた自衛隊の
基地となりました。
自衛隊の活動が終わってから学校を再開したので、
自衛隊がおられた間は見てないのですが…。
結局あの3学期は数えるほどしか学校行ってないなぁ。
たぶん私が以外の被災者も同じだと思いますが、
地震の起こったその瞬間よりも、その後の暮らしの大変さの方が
よく覚えています。
もちろん地震も相当なインパクトがありましたが。
(未だに地震がくるとなみだ目になる)
日本国内ならどこでも地震が起こる可能性があるからこそ、
阪神大震災の経験は語り続ける必要があるなと思っています。
パニックにならず冷静に判断して動くためには、
日頃の備えが重要だと思います。
文明の利器に頼っている暮らしだからこそ、
いざという時のための備えをしっかりした方がいいですよ!
懐中電灯あったけど、電池切れてる~!!
とかならないように!(ウチの場合)
ちょっとマジメに語ってみました。
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